2008年10月29日

Emerson,Lake & Powell「THE SCORE」

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10月31日は、ハロウィン・デーです。
このタイミングならば、メタル無頼漢としては、
ジャーマン・メタルの雄、HELLOWEENを紹介すべきなんですが、
既に、今年2月のガンマ・レイとのジョイント・ツアーの際にピックアップ済み。
HELLOWEEN「THE CHANCE」
ならば…っと思い、ハロウィンに因んで、とある喫茶店を紹介します。

東京の下町情緒溢れるエリア、通称“谷根千”と呼ばれる、
谷中、根津、千駄木の界隈に、ひっそりとある喫茶店「喫茶 乱歩」。

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喫茶店巡りが趣味の自分としては、太鼓判を推す名店。
千代田線の千駄木駅そばの団子坂と呼ばれる坂の途中にあります。
そう、江戸川乱歩先生の「D坂の殺人事件」の舞台である団子坂…
明智小五郎の推理が光る探偵小説の傑作です。
そんな江戸川乱歩を愛するマスターが営んでいる喫茶店が「喫茶 乱歩」。

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日本における“ハロウィン・デー”と言うのは、
コスプレをしたり、怖い映画が放送される日のイメージがあります。
そんな、日本のハロウィンを意識して、
ミステリアスな空間に、浸りたい方への「喫茶 乱歩」の紹介です。
解像度が低い僕のカメラでは、薄暗い店内をキレイに写せなかったんですが、
ホッと一息出来る空間でもあり、ミステリアスな雰囲気も抜群な「喫茶 乱歩」。

カウンターには怪しい書籍が並び、
店内にはネコのグッズが多く飾られています。
「楽我記帳」と呼ばれるノートには、ココに訪れたお客さんのメッセージ、
ネコのイラストなどがいっぱい描かれています。

ranpoC.JPG気さくなマスターと、ココには良介君がいる。
このお店の看板である、16歳の雄猫、良介。
良介君の専用メガネ?で記念写真。
キレイに写せなかったのが悔しい…。
谷根千エリアは、猫が多いことでも有名。
そんな猫たちの大ボス的存在感が、
良介君には伝わってきます(笑)
はじめて、「喫茶 乱歩」に行ったときは、
彼にご対面出来なかったんですよね。
今年4〜5回ココを訪れてからは、
彼に毎度会えていて嬉しい次第です。
僕も喫茶店を開く事に憧れているんで、
うちの猫も、良介君のような看板猫にしたいです(笑)

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今年の8月から参加させていただいている「シネドラ 番外編」。
伊藤P氏、黄金バットII世さん、スクラッティさんとの、
4人連携の合同映画批評ブログなんですが、
今回僕がピックアップさせていただいた映画が、
江戸川乱歩作品「人間椅子」を大胆にアレンジした映画でした。
是非、そちらのほうにも遊びに来てください♪
【シネドラ 番外編】「エロチック乱歩 人間椅子」

さ〜て、10月最後のアーティストでございます。
10月15日の渋谷C.C.レモンホールを皮切りに、
4日間のジャパン・ツアーを敢行したキース・エマーソン。
ELP名義ではなく、ヴォーカル&ギター、マーク・ボニーラを迎えての
新プロジェクトとしての来日公演。マーク・ボニーラは、グレン・ヒューズや、
デヴィッド・カヴァーディルとも共演経験あるプレイヤー。
今月は、来日ラッシュだっただけに、キース・エマーソン公演は、
涙ながら行くのを断念した方もいらっしゃるのでは??

キース・エマーソンはメタル?ハードロック?
って思いがちですが、今年の5月に紹介したエイジア同様、
70年代、80年代のメタル・シーンを経てきたファンにとって、
キース・エマーソンは欠かす事の出来ないプレイヤーではないだろうか??

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来月11月2日で64歳を迎える、プログレ・シーンを牽引してきた、
キース・ノエル・エマーソンこと、キース・エマーソン。
クラシック理論、ジャズ理論の両ジャンルを兼ね備えながらも、
その身をロック・シーンに委ねた希代の鍵盤アーティストと言えよう。

エマーソンは、イギリスのウェスト・サセックス州ワーシングで生まれ、
主に、ルネサンス音楽、バロック音楽に携わり、
その経験を活かしながら、ハモンド・オルガンなどを起用したサウンドを構築。
その類まれなる才能を活かしながら、数々のバンドを経て、
1967年に結成されたThe NICEにより、彼のプレイに注目が集まった。
そして、彼は、グレッグ・レイク、カール・パーマと共に、
1970年エマーソン・レイク・アンド・パーマを結成するのである。

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僕がハードロックを好んで聴き始めた頃に巡り合えた、
キーボードをフィーチャーした楽曲の代表曲が、
やっぱり、ボン・ジョヴィの「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」のイントロを飾った、
「ピンク・フラミンゴ」と、ジャーニーの「セパレイト・ウェイズ」かも。
ギター・サウンドとは異なる攻撃性と哀愁さを兼ね備えたキーボード…。
その後、ディープ・パープルでのジョン・ロードのハモンド・オルガンや、
イングウェイや、ハロウィンの「Dr.Stein」の間奏で聴かせてくれたパイプ・オルガン。
“名メタル・ナンバーにキーボードの存在アリ”と言う事を知る。
その後は、ドリームシアターやロイヤル・ハントと言った
テクニカル集団たちのサウンドに酔いしれていったワケだが、
なんと言っても個人的には、キーボード・プレイヤーの存在感が大きく、
バンド・サウンドに極上のアンサンブルとフォーメンションを効かした、
ジャメタの雄、VOW WOWのサウンドが一番僕には思い出深い.....

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和製キース・エマーソンと言えば、僕は厚見玲衣さんだと思います。
日本が誇るスーパー・ギタリスト、山本恭司さんと厚見玲衣さんの
ギターVSキーボードの図式は、多くのバンドを、それなりに聴いてきた僕でも、
VOW WOWだけではないかと思ってしまうほどの唯一無二なサウンド。
1985年に発表された2ndアルバム「CYCLONE」収録の「Hurricane」は、
山本恭司さんのソロ→厚見玲衣さんのソロ→山本×厚見ユニゾン!!
このフォーメーションは、いつ聴いても鳥肌モンですよっ!!!!
当然、山本恭司さんのソロも最高なんだけど、
もう厚見玲衣さんのキーボードが素晴らしすぎるっ!!!
そして、VOW WOW最高傑作である、3rdアルバム「III」では、
山本恭司さん×厚見玲衣さんのテクニック乱舞協奏曲満載でした。
僕は、厚見玲衣さんの存在により、キース・エマーソンを聴いた一人です。

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お〜っと勢いあまってVOW WOWについて熱くカキコんじゃいそうでした(笑)
話は戻って、キース・エマーソンですが、The NICE以降、
エマーソン・レイク・アンド・パーマことELPとして始動したのが1970年…。
キング・クリムゾン出身のグレッグ・レイクと、
アトミック・ルースター出身のカール・パーマーの3人。
もともと、キースとグレッグのドラマー候補は、
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェル。
しかし、ミッチはバンドには参加しなかったのだが、
逆にジミヘン自身が、キースたちのプロジェクトに興味を持ったそうだ。
そんなニュースを聞きつけたイギリスの音楽誌は、
Hendrix,Emerson,Lake & Palmer、通称“HELP”
っと言うスーパー・バンドが誕生する!!!っと情報が流れたそうだ。
しかし、ジミヘンの急死により、この4人のプロジェクトは夢となった。

そして1970年、デビュー・アルバム「Emerson, Lake & Palmer」を発表。
オープニングを飾った「The Barbarian」邦題「未開人」で、
おどろおどろしい怪しい世界観を出し、
キング・クリムゾンの世界観をも凌駕する、
新たなプログレッシヴ・バンドの誕生をシーンに見せ付けた。
ココにピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンとの四天王伝説の幕が開いた。

そんな、ベース、キーボード、ドラムと言う変則的旋律を武器にELPは、
1970年から1978年の8年間の活動、
活動休止を経て、1992年から1998年の再結成期間において、
オリジナル・アルバム9枚、ライヴ・アルバム13枚を発表。
70年代と90年代を駆け抜けてきたELPだったのだが、
実は、80年代にも新たなELPが誕生していた。
それが今回のピックアップ・アルバム
「Emerson,Lake & Powell」である。

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1970年代に、数々の伝説を残したキース・エマーソン率いるELP…。
そんな彼らが、80年代に再始動しようと決意したのが1985年…。
キースとグレッグは再始動への意気込みを強めていた中、
ドラマーのカール・パーマは、既にエイジアの正ドラマーとして活躍。
カールは、二人のELP再始動のオファーを断ってしまう....。

新ドラマー起用において、Pのイニシャルが付くドラマーで、
ジェネシスのフィル・コリンズ、はたまたビートルズのリンゴ・スターを、
Ringo Parrと言う名前にして、ELPへの参加を要求する予定でもあった(笑)
また、キースの個人スタジオが暴走したトラクターにより破壊された事を皮肉って、
「Emerson,Lake & Plow」にしようか…などとも考えていたそうだ。
因みに「Plow」とは、農耕用と言う意味である。

そんな中で、キースとも親交があった、メタル・シーンの名ドラマー、
コージー・パウエルに、プロジェクト参加を切望....。
ちょうど、ホワイトスネイクを脱退したばかりのコージー…。
快くキースのプロジェクト参加要請にOKサインを出した。

1986年、新ELPとして「Emerson,Lake & Powell」を発表。
今までのELPのプログレッシヴさを継承しながらも、
壮大なシンフォニックな構成のナンバーが散りばめられ、
ダイナミックなドラミングを展開するコージーと見事にハマっていた。

シングル「Touch and Go」は、かなりエイジアっぽいサウンドなんだけど、
やはり、キースの華麗なるキーボードのプレイにより、
確固たるELPの世界観を出したナンバーだと思う。

結果、Emerson,Lake & Powellは、このアルバムのみであり、
商業的にも成功を収められなかった作品…。
しかし、このアルバムの1曲目は、誰しもが耳にした事のある名曲!!!
今回のピックアップ・ナンバーはexclamation×2「THE SCORE」exclamation×2

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「THE SCORE」を聴いて、オッ!!!っと思った方は、生粋のプロレス・ファンかも(笑)
テレビ朝日系列で放送されている、新日本プロレスの番組
「ワールドプロレスリング」のテーマ曲としてお馴染みのナンバー。
闘う男たちのアドレナリン全開となるナンバーと言える。
このナンバーを聴いた新日ファンは、蝶野、橋本、武藤の
“闘魂三銃士”全盛期の名勝負が、頭を過ぎってしまうかもしれない。
この曲は、1986年、FIFAワールドカップ メキシコ大会のテレビ放送の際、
メイン・テーマとして起用されたナンバーでもある。
この大会では、マラドーナ率いるアルゼンチンが、
ベッケンバウワー監督指揮の西ドイツを下し優勝した大会でもある。

「THE SCORE」はトータル9分弱の壮大なるオーケストラレーション楽曲。
インストかと思いきや、ちゃんとグレッグ・レイクのヴォーカルがある。
「ロッキーのテーマ」のように、アスリートたちのハートを熱くしてしまう、
パワフルでダイナミックな高揚感溢れるナンバーです!!!!

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先週の荻窪ラーメン列伝いかがでした??
あと、荻窪と言えば、教会通りにある「さとう コロッケ店」。
大好きなコロッケを片手に記念撮影しちゃいました。

さてさて、伊藤Pさん、コメントどうもです。
なんだか、随分お堅い挨拶からのカキコミに笑ってしまいました。
いやいや、伊藤Pの部屋「デフ・レパード ライヴ・レポ」堪能しました。
デフ・レパードを愛する伊藤P氏の情熱を感じましたよ(笑)

パチーノさん、はじめまして!!!
カキコミありがとうございます。
“デフレパ愛”をもっともっと書きたかったんですがねぇ…
ライヴ・バンドとしての実力度は、エアロを凌ぐのではないかと思います!!!
是非、これからも、カキコミお待ちしています♪
う〜ん、先日アル・パチーノ主演映画「狼たちの午後」を観て、
超感動してしまった僕としては、ナイスなハンドル・ネームっすね!!!

うん?! Mr.K…
柚子ごしょう…????
まっ…まさか、オマエは????
って言うか、ブログにも触れたコメント書いてよ!!(笑)
まぁ、お酒のお誘いは大歓迎です。
是非、飲みましょう!!!

そう言えば、このCM観てくれましたか??
パジェロミニ
posted by 佐藤朝問 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月22日

Def Leppard「Excitable」

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すっかり秋らしい季節になり、温かいメニューが一層美味しくなる時期。
今年の4月にキャンシステムがある荻窪の美味しいうどん屋を紹介しました。
ちょっと亭
そんでもって、5月には、僕が少々、ラーメンにうるさい事も触れました(笑)
たかさご家
そんなワケで、今回は荻窪にある僕の好きなラーメン屋を紹介しようと思います。

ラーメン・ブーム勃発前から、東京屈指のラーメンの名店が並ぶ荻窪....。
“荻窪ラーメン”の代名詞と呼ばれる「春木屋」や、つけ麺の元祖と呼ばれる「丸長」など、
東京ラーメンのエポック・メイキング的場所なのである。

荻窪駅北口は、JR駅にしては珍しく、青梅街道と言う大きな道路沿いであり、
環八も近いことから、駅からも、車でもラーメン屋に訪れる絶好のロケーション。
そんな荻窪に本社を構えるキャンシステム…。
僕が社員の頃から、ラーメン通の人間が多かったような気がする。

そんなキャンシステム社員の時代に巡り合ったラーメン屋で、
大好きなお店2店舗を紹介したいと思います。

hutaba2.JPGまずは、教会通りにある「二葉」。
最近、上荻店もオープンしたが、
教会通り沿いの「天沼店」がお薦めかも。
最近メニューが増えてきているが、
僕は二葉のワンタン麺が大好きである。
こじんまりとした店内と、
手作りのような椅子とテーブルが、
右左と並んでおり、8人で満員…。
煮干だしのスープと太い麺!!!
程よい柚子の香りも二葉ならでは。
(最近、柚子の香りがしないけど…)
食べ応え十分なワンタンも美味いです。
そして、そんなに腹ペコではないのに、
思わず注文してしまう、
「炙りチャーシュー飯」!!!
このツートップが僕の定番メニュー。
当然、麺は固めです!!!(笑)
時々、無性に食べたくなってしまいます。

18.JPGもう一軒目は、「ラーメン十八番」。
荻窪ラーメンの中でも異色的存在。
ランチタイムは開店していないので、
夜じゃないと食べれません....
おまけに何時から開店なの?(笑)
そんなワケで、十八番には飲んだ帰りに、
よく立ち寄ったラーメン屋である。
十八番の特徴は、透明なスープ。
豚骨と黒胡麻がベースとなっている。
脂を感じるんだけど、アッサリしていて、
不思議な甘みも感じる。
とにかく、ココは炙り胡麻が決め手!!!
人気メニューはネギラーメンですが、
僕は、特製十八番ラーメンが定番です。
ラーメンの上に、肉野菜炒めが盛られ、
油断すると、必ず舌を火傷します(笑)
まずは、じっくり掻き混ぜ、馴染ませる。
ココのもう一つの人気は餃子。
一切肉が入っていないヘルシー餃子。
3個餃子が一人では十分かも。
そして、十八番の面白いところが、
食後に、厨房に「ガリをください」
って言うと、あいよっ!!!
っと小皿に盛られたガリがもらえる。
お口直しの一品と言える。
二葉
手もみラーメン 十八番

さてさて本題に入りまして、遂に明日武道館公演が控えている、
ホワイトスネイク × デフ・レパードのダブルヘッドライナー!!!!
本日は、デフ・レパードをピックアップさせていただきます。
1977年にイギリスはシェフィールドで結成されたデフ・レパード。
バンド活動歴は30年以上という大ベテランなのに、
彼らに“老い”と言うものが感じられないのは僕だけだろうか??
全世界で総売上枚数6500万枚と言う驚異的セールスを記録している彼らは、
ご存知の通り、栄光と苦悩が交錯したドラマティックなヒストリーがある。
なのに、エアロスミス、ボン・ジョヴィのように老いを感じないんだよね。
現在のメンバー平均年齢は45歳過ぎなのに、
若々しいファッションと童顔のメンバーが多いからなのか、
ビジュアル、そしてサウンドに衰えを感じさせない、
偉大なる現役ハードロック・アーティスト、デフ・レパード。

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ドラマーのリック・アレンはデビュー時は17歳…
平均年齢20歳と言う若さで、1980年記念すべき1stアルバム
「On Through the Night」をリリースし、
今年2008年に10枚目のオリジナル・アルバムを発表。
28年間で、ベスト盤などを含む14枚のアルバムを発表したデフ・レパード。
初期デフ・レパードは、ブリティッシュ色溢れる、
洗練されたデザインのジャケットだったのだが、
90年代に突入してから、徐々に手抜きになってきているのが伺える。
全ジャケットを見比べれば見比べるほど、
彼らの勢いや葛藤などが、アルバム・ジャケット毎に凝縮されている。
とは言っても、デフレパ節を貫き、クオリティ高いライヴを展開している。
ライヴに定評のあるデフ・レパードは、1995年に24時間で
モロッコ、イギリス、カナダと三大陸でライヴを敢行し、
この記録はギネス・ブックに認定された!!!!

さて、このMETAL無頼漢、今回のデフ・レパードで54アーティスト目であり、
今まで歴史あるアーティストを紐解いてみたが、
大御所バンドのディスコグラフィーって、1stアルバムから5thアルバムまでは、
だいたい1年おきにアルバム発表していると言うことに気がついた。
1年で2枚のアルバムを発表したりもしている....
有り余るアイディアを、どんどん楽曲にして、アルバムを発表し、
自分たちの存在を世に知らしめている....
しかし、デフ・レパードの場合は、1stアルバム「On Through the Night」から、
2ndアルバム「High'n'Dry」までは制作期間1年であるが、
後に彼らの名前がワールドワイドに知れ渡った大名盤3rdアルバム、
「Pyromania」(邦題「炎のターゲット」)は、2ndアルバムから2年後のリリース…。
そして、今回のピックアップ・アルバムである4thアルバム「Hysteria」
言わずと知れた彼らを代表するアルバムであり、
全世界で1700万枚を売り上げたマンモス級の作品なのだが、
この「Hysteria」が完成したのは「炎のターゲット」から4年後の事…。

妥協を許さない、緻密な制作工程もあるのだが、
商業的ヒットを飛ばした彼らには、様々なドラマが裏に潜んでいた....。

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「Hysteria」を発表した頃の彼らのショット....
右から、1991年に残念ながら他界してしまった故スティーヴ・クラーク、
L.A.GUNSの美形ヴォーカリスト、フィリップ・ルイスと共に、
グラム・メタルの先駆け“ガール”のギタリストとして活躍していたフィル・コリン。
そして、今もなお現役であり、デビュー時メンバーである、
ドラマーのリック・アレン、ベーシストのリック・サヴェージ、
ヴォーカリストのジョー・エリオットの3人。

デフ・レパードは、1977年、ベーシスト、リック・サヴェージと、
ギタリストのピート・ウィリス、ドラマーのトニー・ケンニングの3人が結成してた、
アトミック・マスと言うバンドが母体。
そして、ピート・ウィリスがジョー・エリオットと出会い、4人編成バンドを始動。

ジョーが英語の授業中に思い付いたと言うバンド名、
「Deaf Leopard」をメンバーに提案する…
その「Deaf Leopard」をケンニングが、ツェッペリンのように、
母音の一部を取った名前にしないかと提案し、Def Leppardとなった。
因みにLed Zepplinは、元の案は“Lead Zeppelin”。

デフ・レパードと言うバンド名が確立した時に、
ピートは、エレクトリック・チキンと言うコピー・バンドで活躍していた、
スティーヴ・クラークと出会い、彼を正式メンバーとして迎え入れる。
この時に、スティーヴ・クラークは、メンバーの前で
レイナード・スキナードの「Freebird」を披露し、そんな彼のプレイ・スタイルに、
メンバーは、彼を正式メンバーとして承諾したそうだ。

しかし、バンド名において、小粋なアイディアを出したケニングが、
当時付き合っていた彼女を優先するためにバンドを離脱。
代わりに、フランク・ヌーンを迎えて、インディーズEP「Rocks Off」を制作。
ラジオ局などに積極的に売り込んでいった。
っが、結局フランク・ヌーンも脱退し、弱冠15歳のドラマー、リック・アレンを迎え入れる。

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デモ盤となるミニ・アルバム「WARCHILD」、「FIRST STRIKE」などを制作。
この2枚に収録されている楽曲のうち、
1stアルバム「On Through the Night」に収録されたのは「Wasted」だけ。
現在、かなり高値でオークションなどで取引されている幻の2枚!!!
写真左端のジューダスのTシャツを着ているのが、
メンバー構築に大きく貢献した初代ギタリスト、ピート・ウィリス。

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1980年待望の1stアルバム「On Through the Night」を発表。
平均年齢20歳と言うヤング・フレッシュなジェネレーションのバンドとは思えない、
NWOBHMの片鱗を垣間見えるような完成度高いナンバーが収録。
ジューダス・プリーストのプロデュース経験のあるトム・アロムの手腕も光った作品。
幸先良いスタートで、いきなりAC/DCのアメリカ・ツアーの前座などを経験。

その流れで、AC/DCのプロデューサーとして活躍していたマット・ラングの目に止まる。
早速、マットの下制作された、2ndアルバム「High'n'Dry」が1981年に完成。
しかし、このアルバムの発売と同時に、旧友ピート・ウィリスを解雇する。
ピートは、かなりアルコール依存症となっていたため、
バンドの将来を考えての苦渋の選択であっただろう....。
「High'n'Dry」で最も注目された楽曲が、「Bringin' On the Heartbreak」。
あのマライア・キャリーもカバーした名バラードであり、
ピート・ウィリスとスティーヴ・クラークの泣きまくる
ツイン・ギターが印象的なナンバー。
この曲は、プロデューサーであるマットが、ツェッペリンの
「天国への階段」のようなバラードを作るようメンバーへ投げかけた。
ジミー・ペイジを崇拝していたスティーヴ・クラークは、この要望に燃えたんだそうだ....。
「High'n'Dry」のヒットにより、オジーの欧州ツアーの前座などを務める。

ピート脱退後のデフ・レパードは、新ギタリストを探す。
そして、巡り合えたのが、タッシュ、ダム・ブロンズ、そしてガールなどで
活躍していたテクニカル・ギタリスト、フィル・コリン。
彼はデフレパのメンバーになった事を真剣に考え、
酒を飲むことを止め、肉を食べることも止め、健康な状態で、
デフ・レパードのサウンドを支えていこうと決断する。
しかし、一方のスティーヴ・クラークのアルコール漬けは加速していた。

アグレッシヴなリード・ギタリスト、フィル・コリンを迎えたデフレパ。
そんなメンバー構成を意識した楽曲を、プロデューサー、マットの指揮の下、
次々と制作し、完成されたのが3rdアルバム「Pyromania」
邦題「炎のターゲット」が2年の歳月を経て満を持して発表されたのである。

このアルバムは、1983年のロックシーンそのものと言っても過言ではない無敵の1枚!!!
ココから、デフ・レパードのお家芸である重厚なコーラス、
フィルとスティーヴのツイン・ギター・バトル、
耳残り良いキャッチーで、パワフルなサビが、誰もが虜になってしまったハズだ。
シングル・カット「Photograph」、「Rock of Ages」は、
ビルボード・シングルチャートで1位を連続で獲得してしまう!!!
「Pyromania」は、1982年に発表されたマイケル・ジャクソンの名盤
「スリラー」をも凌駕する、ゴールド→プラチナ→マルチ・プラチナをも超え、
ダイアモンド・アルバムの称号を手にしたアルバム。
当然ながら僕も、このアルバムから、デフレパ狂へとなっていた(笑)

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1984年12月31日大晦日…
ドラマーのリック・アレンは地元イギリス・シェフィールドで
家族と一緒に年末を過ごしていた。
彼が愛車のコルベットに乗り、我が家に戻る際、
一台のアルファ・ロメオが、リックのコルベットに近づき威嚇してきた。
リックのコルベットの前を、邪魔するかのように走るアルファ。
リックは、その車に逆上してしまい、思いっきりアクセルを踏んだ…。
加速がつき過ぎたコルベットは、そのまま垣根へ激突…。
不十分な状態だったシートベルトにより、
彼の腕は切断を余儀なくされるほどの重症を負ってしまう。
病院に駆けつけたヴォーカルのジョーは、涙ながら
ドラムを続けることを諦めるよう説得したが、
リックはデフ・レパードのドラマーを続けることを決意していた....

リックは失くしてしまった左腕の代わりに、左足を活かせる
ハイハットとスネア・ドラムを改造したドラムセットで、
ステイタス・クオーのドラマー、ジェフ・リッチの支援の下、
バンドに役に立つドラマーになるため、過酷な練習を積んだのだ。

そして事故から2年後の1986年…
イギリス・ドニントン・パークで行われたモンスターズ・オブ・ロックで、
リックはデフ・レパードのドラマーとしてステージに立った.....

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頂点を極めたデフ・レパード....
しかし、最愛なるドラマー、リック・アレンの事故....
当然、アルバム制作は難航だったに違いない....
栄光に酔いしれることなく、改めて自分たちを見つめなおしたメンバー。
「Pyromania」で得たヒット・チャートの法則を糧に、
更なる素晴らしいアルバム「Hysteria」を1987年に発表した。
全12曲、トータル62分と言う大作「Hysteria」。
バラエティに富んだ楽曲陣は、シングル・カットを量産。
アルバム発売の1987年に、「Woman」、「Animal」、「Pour Some Sugar on Me」
「Hysteria」の4曲をシングル・カット。TOP10圏内にどれも食い込む。
そして、1988年に「Armageddon It」、「Love Bites」(2曲とも最高位3位)
1989年に、「Rocket」をシングル・カット。
「Rocket」のPV監督は、数々の名クリップを残したナイジェル・ディック!!!
そして、このPVが、まさかスティーヴ・クラークの最後の姿になるとは、
誰が想像していただろうか?!
2年後の1991年、スティーヴ・クラークは帰らぬ人となってしまった。

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まるで、韓国のドラマを観ているかのような不の連鎖…。
不幸なバンドと言う言葉では括れない何かがデフ・レパードにはある。
それも、もしかして定めなのかもしれないし....
不慮の事故でメンバーを亡くしたバンドは結構多い…。
大半は、その影響により解散と言う悲しい結末を迎えたりしている。
でも、デフ・レパードは今もなお活躍しているし、
冒頭でも書いたように、衰えを感じさせない漲ったパワーを感じる。
僕ら世代にとって、「Hysteria」はバイブル的アルバムであるけれど、
リック・アレンの不屈の精神が詰まった1枚であり、
故スティーヴ・クラークの遺作にもなってしまった感慨深いアルバム。

そんな名盤から選ばさせていただいたのが、
メンバーが楽しくバンドをしているexclamation×2「Excitable」exclamation×2
中学の頃は、この曲ぜんぜん好きじゃなかったんだよね。
カッコ良さを感じられなかったんだけど、
大人になってからは、この歌のパンキッシュなビートが好きになりました。
テクニカルなフィルの旋律よりも、スティーヴ・クラークの
ダイナミックなリフが目に浮かんでしまう最高のナンバーだと思います。
そんでもって、この「Excitable」に、1999年、ヴィヴィアン・キャンベルが
すっかりメンバーとして定着したデフ・レパードの原点回帰作
「Euphoria」に収録されているインスト・ナンバー「Disintegrate」と
リミックスさせた構成で放送しております!!!

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明日のセットリストは一体どうなるんでしょうね??
是非、ライヴに行かれた方は、コメントお待ちしております。
僕の予想では、ホワイトスネイクは「Still Of The Night」から始まるのでは??
デフ・レパードは、やっぱり、1曲目は「Stagefright」かなぁ....
posted by 佐藤朝問 at 21:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

Whitesnake「The Deeper the Love」

ほわすね.JPG

omoide coffy.JPG
先日銀座一丁目で仕事があったので、
日比谷線ひとつ先の駅である築地で下りました。
大学卒業後、新卒で入社した会社が築地にあったため、
何かと思い出のある地であります。

もう、その会社に入社したのが12年前と、
自分が歳をとったのを実感してしまいます。
営業配属だった自分は、とにかく新規クライアント獲得の日々…。
社会の現実を目の当たりにした、今思えばイイ経験でした。

新規クライアント獲得のために、様々な会社にアポを取る訳ですが、
1週間で3件アポが取れれば上出来でした。
アポが取れなければ、ひたすら資料集め.....
当時23歳の自分は、結構四苦八苦の毎日だったのを覚えています。
アポが取れなければ、会社を出る理由が無いので、
築地周辺で、トボトボ昼飯を食べていたワケなんですが、
そんな当時の自分を癒してくれたのが、築地茶房のコーヒーゼリーでした。

12年振りに訪れてみたら、店内は当時のままであり、
ボリュームあるコーヒーゼリーも健在であり、当時と同じ200円!!!!
一人暮らしを始めたばかりと、がっかりな初任給だったので、
この低価格は、それはそれは嬉しかったです。
働く疲れを知った頃だけに、ほろ苦さと甘さがブレンドされたコーヒー・ゼリーに、
なんとも言えない安堵感をもらっていましたね.....

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築地茶房から、銀座一丁目へ向かう途中に、中村屋というお店があります。
ココのランチ・メニューに「わらじメンチ定食」って言う、
ボリューム満点の定食があって、そこも御用達でした。
文字通り、わらじのようなデカイ、メンチカツを堪能できます。
仕事終わりに、先輩や同期たちと酒を飲んだ思い出も、中村屋にはあります。

今の仕事に就くまでに、幾分遠回りしてきましたが、
当時の経験も、僕の血となり肉となった素敵な思い出であり、
自分の年輪として大きな役割として刻まれています....。

築地茶房
中村屋

さてさて、間もなくホワイトスネイク、デフ・レパードの
夢のダブル・ヘッドライナー・ツアーが行われます。
ブリティッシュ・ハードロックを代表する両雄の雄姿を、
いっぺんに堪能できる、最高のステージが、いよいよ来週10月23日、
聖地、日本武道館2DAYSを皮切りに、大阪、名古屋のジャパン・ツアーが開催。
そんなワケで、今週ホワイトスネイク、来週デフ・レパードをフィーチャー。
頂点を極めた両バンドを請謁ながら、ピックアップさせていただきます。

DP with DC.JPG
本日のホワイトスネイクは、ご存知第三期ディープ・パープルのヴォーカリスト、
デヴィッド・カヴァーディルを中心とした、
イギリス、ノース・ヨークシャーにて1977年に結成されたバンド。
カヴァーディルがイアン・ギラン脱退後のパープルに加わったのが、
1974年発売のパープル通算8枚目となる大名盤「Burn」(邦題「紫の炎」)から。
同期加入メンバーには、歌唱力も抜群のベーシスト、グレン・ヒューズ。

カヴァーディルは、1974年から1975年という短期間において、
3枚のパープルのアルバムに参加している。
しかし、1975年の10thアルバム「Come Taste the Band」で、
パープルの頭脳でもあるリッチー・ブラックモアが脱退し、
故トミー・ボーリンを迎えてからが、バンド内が空中分解…。
結局1976年にディープ・パープルは一回目の解散となってしまう。

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既に、リッチーはロニー・ジェイムズ・ディオと共にレインボーを始動。
カヴァーディルも自ら、ホワイトスネイクを結成し、
1977年から1991年までに9枚のオリジナル・アルバムを発表。
当初はブルース色強いバンドであり、カヴァーディルは、
そんなホワイトスネイクのサウンドを“プログレッシヴR&B”と提唱していた。

初期ホワイトスネイクを支えていたのが、
ギターのミッキー・ムーディー&バーニー・マースデン、
ベーシストは元VOWWOWでもあるニール・マーレー。

大手レーベル、ゲフィンと契約するものの、1978年の1stアルバム「Snakebite」、
ビートルズの「デイ・トリッパー」のカバーが収録された2ndアルバム「Trouble」、
盟友ジョン・ロードを迎えた1979年の3rdアルバム「Lovehunter」までは、
正直、セールスには恵まれておらず、苦悩の期間であった。

そして、デビュー2年目の4thアルバム「Ready an'Willing」にて、
パープル出身のドラマー、イアン・ペイスを迎え、
ようやくゴールド・ディスクを獲得したのである。
このアルバムには、彼らを代表するナンバー「Fool for Your Loving」が収録。
B.B.キングの楽曲からヒントを得たと言うこのナンバーは大ヒットを記録。
そして、このナンバーが時を経て、新たなアレンジで生まれ変わり、
我々世代に浸透したのが、今回のピックアップ・アルバム
1989年発表の9thアルバム「Slip of the Tongue」である。

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「Slip of the Tongue」時のメンバー・フォト。
右からドラマーのトミー・アルドリッヂ、
そしてヴォーカリストのデヴィッド・カヴァーディル、
なぜか、カメラを持っているのが、ご存知スティーヴ・ヴァイ、
そして、エイドリアン・ヴァンデンヴァーグとルディー・サーゾ。
非常に、バンド内に心地よい風が吹いているかのような楽しそうなショット。
そして、ブリティッシュ臭さ溢れていたホワイトスネイクが、
テクニカル・ギタリスト、ヴァイを迎えたと言う、衝撃的メンバー編成であり、
ヴァイを受け入れられたホワイトスネイクのハードロック・シーンの
頂点を極めた故の自信と、飽くなき挑戦が垣間見える時代なのである。

WS@.JPG
そう、彼らがハードロック・シーンの頂点を極めたキッカケは、
7thアルバム「Slide It In」から、コージー・パウエル、ジョン・サイクスを、
メンバーに迎えてからのことである。
皮肉にも、リッチー・ブラックモア率いるレインボーの
初期作品ほとんどに関わったコージー・パウエルと、
以前ココでも紹介したタイガース・オブ・パンタン、そしてThin Lizzyと、
着実にギター・ヒーローの仲間入りとなっていたジョン・サイクス…。
攻撃性を兼ね備えたドラマーとギタリストを迎え入れることにより、
今までのホワイトスネイクのサウンドに切れ味が増したのかもしれない。
また、他バンドで活躍していたプレイヤーを起用することにより、
従来のマンネリなサウンドを払拭させるアイディアとエッセンスが組み込まれたのかも。
そして、そのアイディアに難なく対応できるカヴァーディルの
ヴォーカリストとしてのポテンシャルの広さを、
カヴァーディル自身が気付き、コージーやジョンに委ねられたのかもしれない。
とは言っても、所詮カヴァーディル帝国のホワイトスネイク!!!(笑)
メンバー・トラブルは絶えないのである.....。

WSB.JPG結局コージー・パウエルやジョン・ロードが脱退し、
3年の制作期間を経て完成したのが、
多くのハードロック・ファンが、
コレをキッカケにHR/HM信者になったであろう、
ロック史に残る名盤とも言うべき作品、
1987年発表、通算8枚目となる「Whitesnake」。
邦題は「サーペンス・アルバス〜白蛇の紋章〜」。
Serpens Albus(サーペンス・アルバス)とは、
ラテン語でWhitesnakeって意味だそうだ。
この名盤を生んだ影の功労者は、
間違いなくジョン・サイクスである。
なのに!!!ジョンはレコーディング終了後、
無情にもカヴァーディルから解雇通告!!!
「Here I Go Again」、「Crying In The Rain」は、
彼らの6thアルバム「Saints & Sinners」の
収録楽曲を再レコーディングしたものではあるが、
その2曲以外は、ほとんどジョン・サイクス節炸裂。
解雇されたジョンが後に結成した
ブルーマーダーの1stアルバムを聴けば、
「サーペンス・アルバス」の功績が伺えてしまう。
さて、素晴らしいアルバムだけに、
4曲もシングル・カットされ、どれもが大ヒット!!!
ビデオ・クリップには、急遽召集された、
エイドリアン・ヴァンデンヴァーグ、
ヴィヴィアン・キャンベル、ルディ・サーゾ、
そしてトミー・アルドリッヂがPVに出演し、ツアーも敢行された。
ヴィヴィアンにジョン・サイクスの音が似合わないのが悲しい(笑)

bibiru.JPG
僕にとっても、この「サーペンス・アルバス」は思い出の一枚であり、
ハードロックの世界に誘ってくれたアルバムであるのは事実です。
時々、「何をキッカケに、メタルとか聴くようになったの?」
っと訊かれたりすることがあります。
その際に答えるエピソードに「サーペンス・アルバス」が必須なんです。

忘れもしない、僕が14歳の中学二年生の時でした....。
学校行事で僕らの学年で、山梨県西湖のキャンプ場に行った時です。
それぞれグループ分けして、バンガローに泊まり、
自炊などをしながら、楽しい野外体験の授業です。

初日の夜…
多目的集会場のようなフロアに、
全学年が集まりレクリエーションをしていました。
その時、とある先生が我々の前に出て、こう言いました…

「おーーーい、誰かみんなの前で出し物するやつはいないか??」
もうすっかり、女の子を意識し、髪型なんかも気にし始めた、
青春真っ只中の我々は、気恥ずかしいと言う気持ちが芽生えてしまい、
誰もみんなの前に出たりはしませんでした…

っと、その時!!!!
とある男が…「先生、僕やらせてもらいます」っと言いやがった…。
彼は、とある超有名人の孫であるK君…。
K君は、真っ赤なラジカセを片手に、颯爽と160人ぐらいの前に現れた。

みんなの視線が彼に注がれる…
しかし、彼は動揺した様子は微塵もない.....
そして彼は、みんなの前ででかい声で言った.....

「今からホワイトスネイク物まねします♪」

っと言った瞬間に、ラジカセの再生ボタンをパチンと押した!!!
すると、ブーーーーン!!!!デデーーン デデーン キュイーーン!!! ブーン!!

そう!!!ジョン・サイクスの分厚いレスポールのグリスサンドが高らかに始まる
大名曲「Still Of The Night」が流れ始め、彼はエア・ギターをしたのだ!!!
そして、カヴァーディルのヴォーカルを口パクで歌マネをし始めた!!!

K君は「Still Of The Night」のPVを、一人で再現したのだっ!!!(笑)
もちろん、あの間奏パートのバイオリンのサウンドも、
エイドリアン・ヴァンデンヴァーグになりきってバイオリンを弾いていた!!!

会場は大爆笑なんだけど、彼は汗びっしょりでホワイトスネイクを
ノンストップで熱演!!!
僕は、声に出して言ってしまいました
「かっけーーーー!!!!」
彼への嫉妬と尊敬の意が一気に膨れ上がったのを覚えてます(笑)

「終わりですっ!!!」
っと、あの6分ぐらいある「Still Of The Night」を完全再現し、
フラフラに元の場所へと戻るK君…。会場は盛大な拍手!!!!

その日のうちに、僕は彼のところへ行った。
朝:「ねぇ、あれ誰が歌っている歌なの??」
K君:「だから、言ったじゃん、ホワイトスネイクって」
朝:「かっこいいねぇ」
K君:「あぁ言う音楽、アサトも好き?」
朝:「おおっ!!!超カッコ良かったよ!!!」
K君:「んじゃあ、来週テープ貸してあげるよ」

翌週、K君は2本のテープを貸してくれた…
1本は「サーペンス・アルバス」、もう一本はメタリカの「メタル・ガレージ」!!!(笑)
メタル初心者である僕にとって「メタル・ガレージ」は難しかったけど、
そんなK君とホワイトスネイクの出会いにより、
僕は、ハードロックの虜になったんだよね....

WS joined SV.jpg
さて、話は戻って本題のホワイトスネイクに…。
「サーペンス・アルバス」の大ヒットにより、染めた金髪も落ち着いた
デヴィッド・カヴァーディルも、ツェッペリンのパクリだ!!!
…なんて言われつつも、“元ディープ・パープルのヴォーカリストのバンド”
っと言うレッテルから払拭され、絶対的なポジションを確立した。
そして「サーペンス・アルバス」により、アメリカ進出は大成功したので、
ホワイトスネイクは更なる飛躍を求めて、スティーヴ・ヴァイと言う、
個性が強すぎるギタリストを迎え、1989年「Slip of the Tongue」を発表。

「サーペンス・アルバス」の聴きやすさは、
ジョン・サイクスのメロディ・メイクのセンスが軸となっているのだが、
もうひとつ、ヒットチャートに食い込んだ理由としては、
希代のキーボディスト、ドン・エイリーの存在も大きかったハズ。
エイティーズ独特のキーボード・サウンドが違和感なく、
「サーペンス・アルバス」の楽曲陣に注入されていたことも、
親しまれた要因のような気がしてならない.....
また、その鍵盤サウンドを取り入れた成功には、エイジアやジャーニーと言った、
産業ロック・バンドを多くプロデュースしたマイク・ストーンの功績も大きい。

よって、純粋なロック・バンドのサウンドよりも加工された音色…
エフェクトを駆使したサウンドこそが、成功の鍵だとカヴァーディルは睨んだのでは??
ヴァイの知名度を利用して、セールスにあやかる気なんかは、
カヴァーディルには、さらさら無かったと思う。
ヴァイならではのIbaneze特有の近未来的エフェクト・サウンドが、
ホワイトスネイクならではの“産業ロック”を確立できると思ったハズ。

そんなヴァイの加入ニュースは、「Slip of the Tongue」発売前から話題となり、
当然ながら賛否両論の嵐が巻き起こった…。
そりゃそうだよね、デヴィッド・リー・ロスの「Just Like Paradise」のPVで、
スティーヴ・ヴァイはハート型のダブル・ネックのギターを弾いていたんだから(笑)

そんな「Slip of the Tongue」は「サーペンス・アルバス」に次ぐ、
ホワイトスネイク歴代アルバムで、2番目に売れた作品となった。
控えめとは言えど、やはり個性が光まくるヴァイのギターではあったが、
カヴァーディルの高音ヴォーカルに磨きが掛かっていたこともあり、
エッヂが効いていて爽やかで、広がりのある楽曲が多かった。
ヴァイの個性を大事にしながらも、「サーペンス・アルバス」で得た経験を継承した、
練りこまれた素晴らしい完成度を誇るアルバムだと思う。

nezumi.JPG
「Slip of the Tongue」からは、5枚シングル・カットされた。
今回のピックアップ・ソングは、そのうちの1枚で、
10月下旬の秋にピッタリなバラード・ナンバー
exclamation×2「The Deeper the Love」exclamation×2

話は変わって、ホワイトスネイクと言うと、彼らのPVに必ず出ていた、
カヴァーディルの当時の奥様、トーニー・キテインが思い浮かぶ。
そんなに美人とは言えない彼女だが、抜群のプロポーションを持つ女優さんである。
実は、ラットのデビュー・アルバム「RATT」のジャケットに出ている、
白いネズミが絡みつく妖艶な足は、彼女の足なんだそうだ。
その流れで、ラットの2ndアルバム「Out of the Cellar」(邦題「情欲の炎」)の
ジャケットにも出演している。
実はトーニーは、当時ラットのギタリスト、故ロビン・クロスビーの彼女だった(笑)

そんな、みんなに自慢したくなってしまうトーニーの魅力に、
カヴァーディルもメロメロだったんだろう…。
今回の「The Deeper the Love」のPVにも出演しちゃっている(笑)

この曲のメロディは僕の琴線ストライクの旋律なんだよね.....
全身に寒気が走って、ちょい涙が込み上げてしまう切なさと爽やかさがある。
このメロディで思い浮かぶのが、ボン・ジョヴィの「Without Love」。
走馬灯のように、当時の思い出が頭を駆け巡ってしまうバラード。

asato with rage.JPG
先日、アニメ版の映画「時をかける少女」を観ました。
さすが、評判が高かった作品だけに、素敵な映画でした。
だらしない性格の自分だけに、時間を戻せたらなぁ…
って思ってしまった映画でもありましたね.....
posted by 佐藤朝問 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

Carcass「R★★k The Vote」

かぁぁかす.JPG

まぁじゃん.JPG
麻雀です…。
あまりギャンブルをしない自分ですが、麻雀は学生時代から時々していました。
久々の5時間、ぶっ通し麻雀に熱くなってしまいました。
麻雀の5時間って本当にあっという間であり、
こんな調子で、学生時代は、友人宅で徹夜麻雀をしていた思い出があります。
とは言え、麻雀の空気を一切読めない自分ですので、
他の御三人には、僕の捨牌を読めないようで、申し訳なかったです(笑)

まぁぁじゃん.JPG改めて、全自動麻雀卓は便利ですね(笑)
昔は、こたつのテーブルを裏にして、
地道に牌を混ぜ合わせ、揃えたものです。
また点棒も自動計算してくれるし…
棒の重さなのか?センサーなのか?
いやいや、麻雀卓に驚かされっぱなし。
この勢いで、役の点数も計算してほしいです(笑)
あっ、今回の麻雀にて「赤ドラ」の存在を知りました。
自分にもチャンスはありますが、
振り込んでしまったら恐ろしい赤ドラ。
とかく、リーチしまくる自分ですので、
読み合いの緊張感が消えてしまい、
つまらなくしてしまいました(笑)
上の写真で、麻雀をわかる方は、僕の上がった役判りますよね??

さてさて先週に引き続き、「LOUD PARK08」出演アーティスト第二弾は、
グラインドコアの先駆者的アーティストであり、
デス・メタル・シーンを牽引してきた偉大なる、魑魅魍魎バンド、カーカス!!!
CARCASSとは、死骸、残骸、または腐乱死体と言う意味。
こんなバンド名なのだから、当然ながら音楽も強烈極まりないっ!!!

夏が終わるにつれて、至る場所で、セミの死骸を見かけるのも一種の風物詩…(笑)
田んぼなどを走ると、つぶれた蛙の死骸などもあったりする。
意外と身近なキーワードだったりする“死骸”と言う言葉。
でも身近でありたくないのが本心であったりする。

凄惨な事件がニュースで流れ、時折「死体遺棄」事件などと言う言葉が飛び込む。
「死体」と「死骸」と言うのは意味は同じなのだが、
言葉の響き、ニュアンスが違うような気がする。
人間における「死体」は他殺によるもので、
「死骸」は戦争などの犠牲者で、身元の確認が困難なほどの状態なイメージがある。

crcss mv.JPG
僕は20代前半に、とりつかれたかのようにカルト映画にハマった時期がありました。
スプラッターやホラー映画を好んで観ていた悪趣味が加速したんだと思います。
一般的に、カルト映画と言うと、デヴィッド・リンチ監督の「イレイザーヘッド」や、
テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」、パゾリーニ監督の「ソドムの市」、
クローネンバーグ監督の「裸のランチ」と言った難解映画が挙がります。
邦画でも、寺山修司監督「田園に死す」や、橋本忍監督の「幻の湖」など、
ATG系映画は、ほとんどがカルト映画的作りと言えます。

B級っぽさと、監督の頭の中の世界観が暴走し、そのまま反映されたと言う、
まさに「映画」ならではの非現実と現実が交差した作品ばかりです。
そんなカルト映画の醍醐味は、その現実…“奇妙なリアリティ”だと思います。
ジョン・ウォーターズ監督の「ピンクフラミンゴ」は、
どこまでがフィクションなのかが解らないほどのヤバ映画でしょう(笑)

なぜ、こんな話題になったかと言うと、「死骸」という映画的マテリアルが、
カルト映画にはよく登場する事を思い出したからです。
まずは、死体と性交を好むカップルを描いた衝撃作「ネクロマンティック」の監督、
ユルグ・ブットゲライト監督作品「死の王」。
もうひとつは、ピーター・グリナーウェイ監督の「ZOO」。
この二作品の共通項は、物語の軸に、ひとつの死体が登場し、
物語が進むにつれて、その死体が腐乱していくと言う構成。
「死体」→「死骸」へと変わりゆく様が描かれた問題作と言えよう。
「ZOO」は動物の死骸なのだが、「死の王」は間違いなく本物の人間の死体…。
当然ながら、各国上映禁止となった、文字通りのカルト映画。

もうひとつ「死骸」で思い出すのが、カルト映画の金字塔、
ホドロフスキー監督の「エル・トポ」。
ジョン・レノンも愛したと言うカルト映画だが、
この映画で大量のウサギの死骸が使われているシーンがあるんだけど、
砂漠の真ん中に、大量の純白のウサギの死体が転がっているシーンは、
惨いと言う言葉を通り越して、芸術の域に達している…。

「観た」、「聴いた」と言う表面上では判断出来ない奥深さと、
先入観を覆してしまう表裏一体さが、カルト映画にはあり、
そして今回のカーカスにも、そんなエッセンスが備わっているような気がする。

carcassgoroku.GIF
ご存知の通り、初期カーカスの作品は、デス度100%であり、
トイズ・ファクトリーが命名した楽曲の邦題は、どれもが凄い!!!!
あの禁断ムービー「ギニー・ピッグ」のサブタイトルかと思わせる、
笑ってしまうんだけど、なんだか気分が悪くなってしまうタイトルばかり…。
解剖学用語が羅列した、カオスな歌詞をデス声で歌い上げるカーカス。
タイトルとデス声により、初心者は、やはり躊躇してしまう…。
しかし、聴けば聴くほど、完成度の高いメタル・サウンドである。
甘っちょろいハードロックに飽きたメタラーにとって、
彼らの登場は衝撃的であり、メタリカとは違った強靭な存在感に酔いしれたに違いない。
映画産業の飽和化により、カルト映画が生まれ、
支持する者のみに理解してもらえればというサブ・カルチャーの発信と同じように、
固定観念が濃かったメタル・シーンに、新たな風をもたらし、
メタル・ミュージックのポテンシャルの広さを更に拡大させたアーティストである。
彼らの影響力は後のアーティストにも絶大であり、
カーカスが生んだ世界観は、禁断の領域へと進み、“ゴアグラインド”と言う、
メタル内のサブ・カルチャーが生まれた。

カーカスは1985年にデビューし、1995年に解散…。
昨年の2007年に奇跡の再結成し、今年のLOUD PARK08に出演する…。
今回は、1995年解散後に、メジャー・レーベルである、
コロンビア・レーベルから発売されたカーカス最後のアルバムであり、
毒気と破壊力が消え失せてしまった、ファン失望のアルバム
「Swansong」をフィーチャーさせていただきます。

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とは言っても、スリップノットのようなビジュアルなのか??
血なまぐさいカンニバル・コープスのような出で立ちなのか?
っと思ったら、意外と普通なメンバーのカーカス(笑)
こんな彼らが、ひとたびステージに上がれば、宇宙刑事ギャバンで言うならば、
“暗黒空間へ引きずり込めぇぇ!!!”ってカンジ(笑)
おまけに、デス・メタルと言えば、アメリカはフロリダってイメージだけど、
彼らは由緒あるイギリスはリバプール出身と言うどんでん返しっぷり。

1985年…写真右端のビル・スティアーと、彼の隣のケン・ウォーエンが、
ディスアタックと言うバンドで活動し、
その後エレクトロ・ヒッピーズと言うバンドで活動していた、
ジェフ・ウォーカーとSanjivが2人とバンドを組むこととなる。
この頃、ビル・スティアーは、ナパーム・デスのメンバーとしても活躍。
1987年、バンド名をカーカスと名乗り、デモ作品のレコーディングを開始。
同年にはナパーム・デス衝撃のデビュー作「Scum」がリリース。
アルバム・ジャケットのデザインを担当したのは、ジェフ・ウォーカー。
トータル33分なのに28曲も収録され、ご存知、1秒曲「You Suffer」も、
このアルバムに収録されている。

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ヴォーカリスト、Sanjivが脱退し、3人編成でカーカスは始動。
タイトなスケジュールで、1stアルバム「Reek of Putrefaction」が、1988年完成。
邦題は、「腐乱屍臭」と言う強烈なタイトル(笑)
計22曲、トータル39分…ほとんど2分を切ったナンバーばかり(笑)
ジェフ・ウォーカー、ビル・スティアーそれそれヴォーカルを務めるカーカスだが、
初期作品はビルの低ーーいデス・ボイス!!!
本当に歌詞を歌い上げているのか?っと疑問を持ってしまうほど、
飲みすぎた後に、道端で吐いてしまう際に出てしまう声のような、
もう解読不能なロー・デス・ボイス(笑)
「ジョジョの奇妙な冒険」に欠かせない演出の擬音にも通じます(笑)
ナパーム・デスよりも更なるデス・ワールドを築き上げた1枚である。

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1988年作品は、このブログで多数取り上げています。
それだけ、多くの名盤が生まれた年だった事が伺える。
クリフ・バートンの死を乗り越えて生まれた「…And Justice for All」を軸に、
スラッシュ四天王それぞれが発表した年であり、
ボン・ジョヴィ、シンデレラなどヒットチャートを賑わす名盤も、
1988年には多数発表されている。
そんな中での、カーカス、ナパーム・デスの衝撃のデビュー。
また、インダストリアル・メタルの代表格ミニストリー、
デス・エンジェル、テスタメントなどのベイエリア・クランチ、
大合唱が聴き応え十分なブラインド・ガーディアン、
元祖デス系であるDEATHや、強烈なビジュアルのセルティック・フロスト、
マッスル軍団、マノウォーや、これまたマッチョなミスフィッツ出身の
グレン・ダンジグのソロ作品など、メタル細分化が著しく激しく、
他バンドと重ならない、見事な差別化されたバンドが続々と登場してきた。

スピアー.JPG1991年、カーカス通算3枚目の作品
「Necroticism - Descanting the Insalubrious」。
今作からスウェーデン出身のギタリスト、
マイケル・アモットを迎え、4人編成へ…。
マイケル・アモットと言えば、
スピリチュアル・ベガーズ、
そしてアーク・エネミーを生んだ、
稀代の北欧ギタリストであり、
カーカスを劇的に変えた男かもしれない。
スラッシュ色が色濃く出てきて、
マイケルのギター・ソロが冴え渡る1枚。
そしてギーガーのジャケット・デザインで
有名な4thアルバム「Heartwork」を、
前作から2年後の1993年に発表。
ココから彼らは、フルモデルチェンジ!!!
シングル・カット名曲「Heartwork」は、
後期カーカスを代表するナンバー!!!
当初は、今作収録「Death Certificate」を
ピックアップ・ナンバーにしようと思っていました。
今回のラウドパーク08は、アモット復活のステージ!!!
すげぇーーライヴになるのは間違いナシ!!!!
残念ながら、このアルバムを最後に、
ドラマー、ケン・ウォーエンが脳内出血が倒れ、
そしてマイケル・アモットも脱退してしまう。

メンバー間でのゴタゴタが生まれながらも1994年に初来日公演を実施。
1996年、レーベルとの契約も難航となりながらも、
彼らにとって最後のアルバムとなってしまう5thアルバム「Swansong」が発売。
デビュー当時の魑魅魍魎な世界観は失せ、
マイケル・アモット在籍時のメロディック・デスの世界観も感じられない、
“あの頃のカーカス”を知るファンにとっては、
破壊力と攻撃性を欠いたカーカスを知るキッカケとなった1枚となってしまう。

とは言え、デス・メタルに嫌悪感を持ってしまうメタラーには、
カーカス入門編として楽しめると思うほどのメタル・ナンバーが収録。
ザクザクしたリフが印象的な楽曲が多く、首を振りたくなってしまう。
初期メガデスにも思えるインテレクチュアルな転調などもある。
そんな中で、ピックアップしたナンバーは、アナイアレイターを髣髴させるイントロ
exclamation×2「R★★k The Vote」exclamation×2

今回は、「Swansong」の邦盤のみに収録されているスペシャル・トラック
「DEATH RIDER DA」とリミックスしたメタル無頼漢リミックスです。
いやぁ〜編集のN君の見事な編集により、素晴らしい流れの1曲に仕上がってます。
もともと「DEATH RIDER DA」は、BAY FMの長寿メタル番組
「POWER ROCK TODAY」の午前4時30分からのデス系を流す時間帯の
オープニングを飾るタイトル・コールのような楽曲であり、
ピックアップ・ナンバー「R★★k The Vote」のショート・アレンジのような楽曲。
プロデューサー、コリン・リチャードソンのおふざけシャウトから、
違和感なく、流れるように「R★★k The Vote」へと誘います。

asato with giuffria.JPG
緒形拳さんの訃報、ビックリしました。
最近の緒形さんの演技で印象的だったのが、
山田洋二監督作「武士の一分」でしたね.....
でも、なんと言っても三島由紀夫の生涯を描いた映画、
「Mishima」の緒形さんの演技は凄かった!!!!
この映画は、日本未公開映画なんだけど、
アメリカ在住の友人にお願いして手に入れたレア作品。
あと清原選手の引退、王監督の引退など、
今月はなんだか寂しいニュースが多いです。
世界同時株安も深刻だしね.....。
posted by 佐藤朝問 at 22:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

Mötley Crüe「HOME SWEET HOME05」

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asato with kurando.m.JPG昨晩、久しぶりの会合が開かれました。
アメリカで映画監督として活躍中の光武蔵人氏。
伊藤P氏の紹介で2年前から、
彼が来日の際は宴に参加させていただき、
同い歳の仲、映画談義しちゃってます。
師匠、岡本喜八監督のDNAを受け継ぐ光武氏の
待望の新作
Samurai Avenger:The Blind Wolf
満を持して完成したようだ。
血しぶき全開のド派手なサムライ・アクション!!!
僕や伊藤P氏のツボ押さえまくりの映画であり、
ヘヴィメタル・ムービーと言っても過言ではない!!!
光武氏のHPで最新トレーラーをチェック!!!

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とにかく、尊敬すべき方です。
監督業のみならず、俳優や原案作成、
現地コーディネイトなどもこなす光武氏。
その懐の深さと、監督ならではの視点の広さ、
苦労を重ねてこその現在の光武氏があるんだろうなぁ。
毎度、何かとアドバイス&励ましなどをしてもらってます。
自分のちっぽけさを感じながらも、
何か彼と一緒に仕事が出来る土俵へと進まないと…

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さてさて、国内最大のメタル・フェス「LOUD PARK08」が、
今月の18日、19日の2DAYS、埼玉スーパーアリーナで開催される。
今回で3回目を迎えるラウド・パーク。
記念すべき第一回目の幕張メッセ開催から3年が経とうとしている。
アンスラックス、メガデスを思いっきり堪能したのを覚えている。
昨年の第二回目は、トニー・アイオミ、ディオ、ギーザー・バトラーの
元ブラック・サバスのメンバー再結集グループ、
ヘヴン・アンド・ヘルのステージが話題であった。
そして2008年、またまた新旧豪華な顔ぶれが揃った。
初日の18日のトリを務めるのが、スリプノット。
彼らのステージは、サマソニで何度か目撃したけれども、
“メタル”というジャンルには当てはまらないと思うのは自分だけか??
僕的に初日の注目は、やっぱカーカスとオビチュアリー!!!
この両アーティスト目的のオーディエンスは相当おっかないだろう(笑)
初日の喫煙所の様子が目に浮かんでしまう(笑)
ドラゴンフォースは第一回目のラウドパークでステージを観たけれども、
とにかく、個々のテクニックが凄すぎて、音楽を楽しめなかった(笑)
彼らには、もっと口ずさめるようなナンバーも作ってほしい。
また、元パンテラのヴォーカリスト、フィリップ・アンセルモのプロジェクト、
DAWNも、モッシュ度200%ではないか??!!
あっ、AVENGED SEVENFOLDは、サマソニでパンテラの「WALK」を歌っていたなぁ....

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そして2日目のトリを飾るのが、我ら世代の青春、モトリー・クルー!!!
また、元ガンズで、現ヴェルヴェット・リボルバーのダフ・マッケイガンが、
ソロ・プロジェクト、DUFF McKAGAN'S LOADEDで出演が決定した。
ダフのパンキッシュな世界は、ガンズの1993年発表のカバー・アルバム、
「The Spaghetti Incident?」で聴かせてくれた、
ダムドの「New Rose」でノックアウトされたファンは多いのでは??
ジョシュ・トッド率いるバックチェリーも再結成し、
パンク・エッセンス満載の泥臭いロック・チューンが武器であり、
モトリーの「アナキー・イン・ザUK」のカバーも有名であり、
メタル、ハードロック、そしてパンクな世界も楽しめるかもしれない。
そして、メタル・シーンの救世主、Bullet For My Valentine。
彼らはウェールズ出身で、ドラゴンフォースはロンドン出身。
ブリティッシュ・ムーヴメントが再燃し、
彼らのお陰により、メタルのカッコ良さが再確認され、
新たなファンを獲得した功績は大きいです。
よって、幅広いメタル・ジェネレーションが集う素晴らしい2日間になるハズ。

んなワケで採り上げたいアーティストが多いんだけど、
デフ・レパード、ホワイトスネイクも控えているため、
今日はモトリー・クルー、来週はカーカスの2アーティストに絞る事に…。

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ジョン・コラビ加入の第二期モトリー・クルー前の、
ヴィンス・ニール在籍のモトリー黄金期を支えた上記6枚のアルバム。
LAメタルの象徴とも言うべき、ショッキングなルックスと、
アルコール、セックス、ドラッグのキーワードを糧に、
リスキーな香りを漂わせ、ひたすらバッドボーイ魂を貫いたモトリー。
ピストルズやクラッシュが築いた“怒り”や“暴動”な反社会的ロック道とは違う、
社会的道徳や常識に反れる事に快感を覚えろ!!!っと言わんばかりの
問答無用の不良スタイルを築いたバンドのような気がする。
まさに「掟破り」と言う言葉が似合う唯一無二のバンド、モトリー・クルー。
現在平均年齢50歳のモトリー・クルーの不良オヤジたちのステージは、
“あの頃”と同じ、楽しく、エロく、そして攻撃的なんだろう。
そうじゃないと、モトリー・クルーじゃないんだし.....。

当初ピックアップ・アルバムは、1stアルバム「Too Fast for Love」
邦題「華麗なる激情」を考えており、
ピックアップ・ナンバーは「Take Me to the Top」に決めていましたが、
さすが、有線放送キャンシステム!!!
素敵なナンバーの音源を所有されていたので、その曲にしました。
その前に、モトリー・クルーというバンドを紐解いてみる。

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先月1日のW.A.S.P.の紹介の際に触れた、
ブラッキー・ローレスとニッキー・シックスが在籍していたロンドンと言うバンド。
ニッキーがロンドンを離れ、Suite19と言うバンドで活動していた
ドラマーのトミー・リーと後にジョージ・リンチ加入前のドッケンの
初代ギタリストだったグレッグ・レオンの3人でバンドを結成。

しかし、サウンドを作っていく内にグレッグが音楽の方向性の違和感を感じ脱退…。
後任ギタリストとして、彼らよりも年上のミック・マーズを迎える。
ミックはホワイトホースと言うバンドで活躍していたギタリスト。
そのホワイトホースのメンバーが、ある時自分たちの事を、
Motley Crew(うさんくさい一団)に因んで、
“a motley looking crew.”っと名乗っていたそうだ…。
そのフレーズを覚えていたミックがバンド名のアイディアとして、
ニッキーとトミーに提案…
最初は“Mottley Cru-”に決めたが、メンバー同士でドイツ産のビールを飲んでいた際に、
Mötley CrüeのOとUの上の
ドイツ語独特の母音の上に付くウムラウト記号を載せようと盛り上がり、
晴れてバンド名“Mötley Crüe”が誕生する.....。

その後、ヴォーカリストを探す3人…
ハリウッドでロック・キャンディ(Rockand)と言うバンドで、
ヴォーカルを務めていたヴィンス・ニールを誘ってみるが、
当初ヴィンスは、彼らのオファーを断った。
しかし、ロック・キャンディのメンバーが他バンドでも活動するようになり、
トミーの最後のオファーでヴィンスもロック・キャンディから離れ、
モトリーのメンバーに入ることを決意する。

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バンドをスタートさせるために、早速アラン・コフマンを
アーティスト・マネージャーとして1stシングル「Stick to Your Guns」を発表。
このシングルはモトリーのメンバーの自主レーベル、レザー・レコード
(Leathür Records)から発売し、同年に記念すべきデビュー・アルバム
「Too Fast for Love」を発表。
収録曲には、名曲「Live Wire」が収録、
思わず手が動いてしまう、カウベルでのブレイクが印象的なナンバー(笑)

ローリングストーンズの「Sticky Fingers」をオマージュした、
ヴィンスのレザー・パンツの腰元のショットのジャケット。
プロデューサーは元アクセプトのギタリストであり、
旧友ドン・ドッケンと共にアメリカ進出した、
後の名プロデューサーとして活躍したマイケル・ワーグナー。
彼の若かりし頃のプロデュース作品である。
1stアルバム発表をキッカケに、カナダ・ツアーを敢行し、
アメリカでも小規模なライヴ・ハウスで精力的にギグを行う。
軽快なロック・チューンと奇抜なファッションで瞬く間に話題のバンドとなり、
1983年にメジャー・レーベル、エレクトラ・レコードより、
再レコーディングによる「Too Fast for Love」が発表される。
リレコーディングのプロデューサーは、クイーンやアリス・クーパー、
チープトリックなどのプロデュース歴のあったロイ・トーマス・ベイカー。

一アーティストとして活躍するモトリーではあったが、
パーソナリティは、どうしようもないトラブル・メイカーであり、
ツアー中に、鋭利なスパイクが付いたファッションとポルノ雑誌を
カナダ・エドモントン空港の入国審査の再に発見され、
危険物とわいせつ物所有により逮捕されてしまったりする(笑)

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1983年に2ndアルバム「Shout at the Devil」を発表。
ビートルズの「Helter Skelter」のカバーを含む全11曲は完成度が高く、
そしてニッキー・シックスのサウンド・メイカーとしての才能が光り始める。
しかし、バッドボーイワールドは加速する一方であり、
ステージ上においても更なる奇抜メイク、そしてプレイメイトを髣髴させる
グラマラスなお姉ちゃんがステージを乱舞するといった演出。
この頃のモトリーのグルーピーは、それはそれは凄かったそうだ(笑)

1984年…
名曲「Tragedy」でモトリーと同期となる1981年に鮮烈なるデビューを飾った
マイケル・モンロー率いるハノイ・ロックスとモトリーに悲劇が起こる。
ハノイは既に5枚のアルバムを発表し、
本格的な全米デビューとなるアメリカ・ツアーを敢行していた。
ツアーを終えたハノイのメンバーはヴィンス宅に集まりパーティーを開催。
相当盛り上がっていたに違いないパーティーの中で、
酒が足りなくなったヴィンスは、ハノイのドラマー、ラズルと共に、
ヴィンスの愛車、フェラーリー・デトマンソ・パンテーラに乗って
酒屋に酒補充に向かった…。
当然ベロベロの状態での運転であり、案の定、車は大事故を起こしてしまう。
この事故により一般人に重症を負わせ、同乗していたラズルは即死。
賠償金270万ドル、30日間の禁固刑等の罪がヴィンスに科せられた。
ドラマーを亡くしたハノイは、全米進出目前にして空中分解…。
この事故の翌年の1985年に解散してしまう…。(2002年に再結成)

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模範囚だったヴィンスは30日間のところを18日間で釈放…。
シャバに戻ったヴィンスはモトリーに戻り、
1985年、3rdアルバム「Theatre of Pain」を発表。
第一弾シングルは、Brownsville Stationの1973年作品
「Smokin' In the Boys Room」を軽快なロック・チューン・アレンジ。
MTV全盛期だった事もあり、コミカルなPVを製作し、大ヒットとなった。
アルバムは、ビルボード・チャート6位と言う快挙。
そして、「Theatre of Pain」から生まれた珠玉のバラード・ナンバー
「Home Sweet Home」は、モトリー・ヒストリーに欠かせない楽曲である。

このナンバーは1991年に発表されたモトリーのベスト盤
「Decade of Decadence」にて、新録ミックスされ
「Home Sweet Home '91」としてハイクオリティとして生まれ変わる。
哀愁漂うピアノのイントロと、ヴィンスの邪悪さが残りながらも、
切ないバラード節で歌い上げ、ミック・マースのトルクフルなギター・ソロが印象的。

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ハードロック・アーティストのバラード・ナンバーで最も有名なのが、
エクストリーム「More Than Words」とMR.BIG「To Be With You」。
両曲とも1990年代に生まれたナンバーであり、チャートでも首位を獲得した。
両アーティスト共、2ndアルバムに収録されたナンバーで、
1stアルバムで培った経験を軸に、熟練されたスキルにより生まれた楽曲と言える。
2曲とも耳残りの良い素晴らしいバラードではあるが、
当時の僕にとっては、そこまで騒ぐほどのバラードではなかったかも。

通称、グラム・メタル、またはヘアー・メタルと呼ばれるアーティストにより生まれた、
80年代の名バラードを経てきてしまったからかもしれない。
・BON JOVI「Never Say Goodbye」
・WARRENT「HEAVEN」
・Ciderella「Don't Know What You Got(Till It's Gone)」
・STRYPER「Honestly」
・POISON「Every Rose Has Its Thorn」
・EUROPE「Carrie」
・L.A.GUNS「The Ballad Of Jayne」
・Enuff Z'nuff「Fly High Michelle」
・Guns'N Roses「Patience」
・WHITE LION「When the Children Cry」
・KIX「Don't close your eyes」
・TESLA「Love Song」
エクストリーム、MR.BIGのような柔らかさと優しさが包み込むような歌ではなく、
切なさと物悲しさが、ヴォーカリストの歌声と
ギターの音色に凝縮されたナンバーが80年代には多く、
そのキッカケを生んだのが、モトリーの「Home Sweet Home」のような気がする。

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今回のピックアップ・ナンバーは、モトリー・クルーと、
ハイブリット・ロックの代表格、リンキン・パークの
激情シャウト・ヴォーカリスト、チェスター・ベニントンとの夢の競演
exclamation×2「Home Sweet Home05」exclamation×2
この夢の競演の実現の裏には、2005年8月末、アメリカ南東部を襲った
ハリケーン・カトリーナにより壊滅してしまった
ルイジアナ州ニューオリンズへの被災者救済プロジェクトとして生まれた楽曲。

1996年結成のリンキン・パークのメンバーたちは、
アンスラックスとパブリック・エナミー競演ライヴに感銘を受けてバンドを結成した、
生粋のメタルっ子育ちと言える。
ヴォーカリスト、チェスターにとって「Home Sweet Home」には、
色々な思い出があったハズだ。
そんな一度きりの競演楽曲「Home Sweet Home05」は、
チャリティー・ソングとしてアルバム未収録のナンバーであり、
PVとステージのみで聴けるナンバーだった。
その貴重なCD化された音源を所有していたキャンシステムに乾杯!!!
ってなワケで、是非今月のラインナップのラストに流れます。
是非、放送も楽しんでください!!!!

asato with queen.JPG
もう、かれこれ2週間ぐらい、地味な風邪を引いてます。
季節の変わり目、そしてお酒の飲みすぎかもしれません(笑)
寒いからこそ、鍋やおでんが美味しいし、そして酒も美味い!!!
こりゃあ、当分直りそうにありません.....。

さてさて、ブログのトップページが変わりました!!!
お忙しい中、ウェブデザイナーS君、デザイナーのM君に、
かなり頑張ってもらいました!!!
50アーティスト突破記念による一挙放送の詳細は、
10月第二週には告知させていただきますので、要チェックです。
もし、今までの50曲で一番好きな歌なんかをコメントしてくれると嬉しいです。

では、みなさん風邪には気をつけてください。
今回は風邪気味のポッドキャスティングです↓
posted by 佐藤朝問 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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