2008年10月22日

Def Leppard「Excitable」

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すっかり秋らしい季節になり、温かいメニューが一層美味しくなる時期。
今年の4月にキャンシステムがある荻窪の美味しいうどん屋を紹介しました。
ちょっと亭
そんでもって、5月には、僕が少々、ラーメンにうるさい事も触れました(笑)
たかさご家
そんなワケで、今回は荻窪にある僕の好きなラーメン屋を紹介しようと思います。

ラーメン・ブーム勃発前から、東京屈指のラーメンの名店が並ぶ荻窪....。
“荻窪ラーメン”の代名詞と呼ばれる「春木屋」や、つけ麺の元祖と呼ばれる「丸長」など、
東京ラーメンのエポック・メイキング的場所なのである。

荻窪駅北口は、JR駅にしては珍しく、青梅街道と言う大きな道路沿いであり、
環八も近いことから、駅からも、車でもラーメン屋に訪れる絶好のロケーション。
そんな荻窪に本社を構えるキャンシステム…。
僕が社員の頃から、ラーメン通の人間が多かったような気がする。

そんなキャンシステム社員の時代に巡り合ったラーメン屋で、
大好きなお店2店舗を紹介したいと思います。

hutaba2.JPGまずは、教会通りにある「二葉」。
最近、上荻店もオープンしたが、
教会通り沿いの「天沼店」がお薦めかも。
最近メニューが増えてきているが、
僕は二葉のワンタン麺が大好きである。
こじんまりとした店内と、
手作りのような椅子とテーブルが、
右左と並んでおり、8人で満員…。
煮干だしのスープと太い麺!!!
程よい柚子の香りも二葉ならでは。
(最近、柚子の香りがしないけど…)
食べ応え十分なワンタンも美味いです。
そして、そんなに腹ペコではないのに、
思わず注文してしまう、
「炙りチャーシュー飯」!!!
このツートップが僕の定番メニュー。
当然、麺は固めです!!!(笑)
時々、無性に食べたくなってしまいます。

18.JPGもう一軒目は、「ラーメン十八番」。
荻窪ラーメンの中でも異色的存在。
ランチタイムは開店していないので、
夜じゃないと食べれません....
おまけに何時から開店なの?(笑)
そんなワケで、十八番には飲んだ帰りに、
よく立ち寄ったラーメン屋である。
十八番の特徴は、透明なスープ。
豚骨と黒胡麻がベースとなっている。
脂を感じるんだけど、アッサリしていて、
不思議な甘みも感じる。
とにかく、ココは炙り胡麻が決め手!!!
人気メニューはネギラーメンですが、
僕は、特製十八番ラーメンが定番です。
ラーメンの上に、肉野菜炒めが盛られ、
油断すると、必ず舌を火傷します(笑)
まずは、じっくり掻き混ぜ、馴染ませる。
ココのもう一つの人気は餃子。
一切肉が入っていないヘルシー餃子。
3個餃子が一人では十分かも。
そして、十八番の面白いところが、
食後に、厨房に「ガリをください」
って言うと、あいよっ!!!
っと小皿に盛られたガリがもらえる。
お口直しの一品と言える。
二葉
手もみラーメン 十八番

さてさて本題に入りまして、遂に明日武道館公演が控えている、
ホワイトスネイク × デフ・レパードのダブルヘッドライナー!!!!
本日は、デフ・レパードをピックアップさせていただきます。
1977年にイギリスはシェフィールドで結成されたデフ・レパード。
バンド活動歴は30年以上という大ベテランなのに、
彼らに“老い”と言うものが感じられないのは僕だけだろうか??
全世界で総売上枚数6500万枚と言う驚異的セールスを記録している彼らは、
ご存知の通り、栄光と苦悩が交錯したドラマティックなヒストリーがある。
なのに、エアロスミス、ボン・ジョヴィのように老いを感じないんだよね。
現在のメンバー平均年齢は45歳過ぎなのに、
若々しいファッションと童顔のメンバーが多いからなのか、
ビジュアル、そしてサウンドに衰えを感じさせない、
偉大なる現役ハードロック・アーティスト、デフ・レパード。

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ドラマーのリック・アレンはデビュー時は17歳…
平均年齢20歳と言う若さで、1980年記念すべき1stアルバム
「On Through the Night」をリリースし、
今年2008年に10枚目のオリジナル・アルバムを発表。
28年間で、ベスト盤などを含む14枚のアルバムを発表したデフ・レパード。
初期デフ・レパードは、ブリティッシュ色溢れる、
洗練されたデザインのジャケットだったのだが、
90年代に突入してから、徐々に手抜きになってきているのが伺える。
全ジャケットを見比べれば見比べるほど、
彼らの勢いや葛藤などが、アルバム・ジャケット毎に凝縮されている。
とは言っても、デフレパ節を貫き、クオリティ高いライヴを展開している。
ライヴに定評のあるデフ・レパードは、1995年に24時間で
モロッコ、イギリス、カナダと三大陸でライヴを敢行し、
この記録はギネス・ブックに認定された!!!!

さて、このMETAL無頼漢、今回のデフ・レパードで54アーティスト目であり、
今まで歴史あるアーティストを紐解いてみたが、
大御所バンドのディスコグラフィーって、1stアルバムから5thアルバムまでは、
だいたい1年おきにアルバム発表していると言うことに気がついた。
1年で2枚のアルバムを発表したりもしている....
有り余るアイディアを、どんどん楽曲にして、アルバムを発表し、
自分たちの存在を世に知らしめている....
しかし、デフ・レパードの場合は、1stアルバム「On Through the Night」から、
2ndアルバム「High'n'Dry」までは制作期間1年であるが、
後に彼らの名前がワールドワイドに知れ渡った大名盤3rdアルバム、
「Pyromania」(邦題「炎のターゲット」)は、2ndアルバムから2年後のリリース…。
そして、今回のピックアップ・アルバムである4thアルバム「Hysteria」
言わずと知れた彼らを代表するアルバムであり、
全世界で1700万枚を売り上げたマンモス級の作品なのだが、
この「Hysteria」が完成したのは「炎のターゲット」から4年後の事…。

妥協を許さない、緻密な制作工程もあるのだが、
商業的ヒットを飛ばした彼らには、様々なドラマが裏に潜んでいた....。

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「Hysteria」を発表した頃の彼らのショット....
右から、1991年に残念ながら他界してしまった故スティーヴ・クラーク、
L.A.GUNSの美形ヴォーカリスト、フィリップ・ルイスと共に、
グラム・メタルの先駆け“ガール”のギタリストとして活躍していたフィル・コリン。
そして、今もなお現役であり、デビュー時メンバーである、
ドラマーのリック・アレン、ベーシストのリック・サヴェージ、
ヴォーカリストのジョー・エリオットの3人。

デフ・レパードは、1977年、ベーシスト、リック・サヴェージと、
ギタリストのピート・ウィリス、ドラマーのトニー・ケンニングの3人が結成してた、
アトミック・マスと言うバンドが母体。
そして、ピート・ウィリスがジョー・エリオットと出会い、4人編成バンドを始動。

ジョーが英語の授業中に思い付いたと言うバンド名、
「Deaf Leopard」をメンバーに提案する…
その「Deaf Leopard」をケンニングが、ツェッペリンのように、
母音の一部を取った名前にしないかと提案し、Def Leppardとなった。
因みにLed Zepplinは、元の案は“Lead Zeppelin”。

デフ・レパードと言うバンド名が確立した時に、
ピートは、エレクトリック・チキンと言うコピー・バンドで活躍していた、
スティーヴ・クラークと出会い、彼を正式メンバーとして迎え入れる。
この時に、スティーヴ・クラークは、メンバーの前で
レイナード・スキナードの「Freebird」を披露し、そんな彼のプレイ・スタイルに、
メンバーは、彼を正式メンバーとして承諾したそうだ。

しかし、バンド名において、小粋なアイディアを出したケニングが、
当時付き合っていた彼女を優先するためにバンドを離脱。
代わりに、フランク・ヌーンを迎えて、インディーズEP「Rocks Off」を制作。
ラジオ局などに積極的に売り込んでいった。
っが、結局フランク・ヌーンも脱退し、弱冠15歳のドラマー、リック・アレンを迎え入れる。

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デモ盤となるミニ・アルバム「WARCHILD」、「FIRST STRIKE」などを制作。
この2枚に収録されている楽曲のうち、
1stアルバム「On Through the Night」に収録されたのは「Wasted」だけ。
現在、かなり高値でオークションなどで取引されている幻の2枚!!!
写真左端のジューダスのTシャツを着ているのが、
メンバー構築に大きく貢献した初代ギタリスト、ピート・ウィリス。

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1980年待望の1stアルバム「On Through the Night」を発表。
平均年齢20歳と言うヤング・フレッシュなジェネレーションのバンドとは思えない、
NWOBHMの片鱗を垣間見えるような完成度高いナンバーが収録。
ジューダス・プリーストのプロデュース経験のあるトム・アロムの手腕も光った作品。
幸先良いスタートで、いきなりAC/DCのアメリカ・ツアーの前座などを経験。

その流れで、AC/DCのプロデューサーとして活躍していたマット・ラングの目に止まる。
早速、マットの下制作された、2ndアルバム「High'n'Dry」が1981年に完成。
しかし、このアルバムの発売と同時に、旧友ピート・ウィリスを解雇する。
ピートは、かなりアルコール依存症となっていたため、
バンドの将来を考えての苦渋の選択であっただろう....。
「High'n'Dry」で最も注目された楽曲が、「Bringin' On the Heartbreak」。
あのマライア・キャリーもカバーした名バラードであり、
ピート・ウィリスとスティーヴ・クラークの泣きまくる
ツイン・ギターが印象的なナンバー。
この曲は、プロデューサーであるマットが、ツェッペリンの
「天国への階段」のようなバラードを作るようメンバーへ投げかけた。
ジミー・ペイジを崇拝していたスティーヴ・クラークは、この要望に燃えたんだそうだ....。
「High'n'Dry」のヒットにより、オジーの欧州ツアーの前座などを務める。

ピート脱退後のデフ・レパードは、新ギタリストを探す。
そして、巡り合えたのが、タッシュ、ダム・ブロンズ、そしてガールなどで
活躍していたテクニカル・ギタリスト、フィル・コリン。
彼はデフレパのメンバーになった事を真剣に考え、
酒を飲むことを止め、肉を食べることも止め、健康な状態で、
デフ・レパードのサウンドを支えていこうと決断する。
しかし、一方のスティーヴ・クラークのアルコール漬けは加速していた。

アグレッシヴなリード・ギタリスト、フィル・コリンを迎えたデフレパ。
そんなメンバー構成を意識した楽曲を、プロデューサー、マットの指揮の下、
次々と制作し、完成されたのが3rdアルバム「Pyromania」
邦題「炎のターゲット」が2年の歳月を経て満を持して発表されたのである。

このアルバムは、1983年のロックシーンそのものと言っても過言ではない無敵の1枚!!!
ココから、デフ・レパードのお家芸である重厚なコーラス、
フィルとスティーヴのツイン・ギター・バトル、
耳残り良いキャッチーで、パワフルなサビが、誰もが虜になってしまったハズだ。
シングル・カット「Photograph」、「Rock of Ages」は、
ビルボード・シングルチャートで1位を連続で獲得してしまう!!!
「Pyromania」は、1982年に発表されたマイケル・ジャクソンの名盤
「スリラー」をも凌駕する、ゴールド→プラチナ→マルチ・プラチナをも超え、
ダイアモンド・アルバムの称号を手にしたアルバム。
当然ながら僕も、このアルバムから、デフレパ狂へとなっていた(笑)

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1984年12月31日大晦日…
ドラマーのリック・アレンは地元イギリス・シェフィールドで
家族と一緒に年末を過ごしていた。
彼が愛車のコルベットに乗り、我が家に戻る際、
一台のアルファ・ロメオが、リックのコルベットに近づき威嚇してきた。
リックのコルベットの前を、邪魔するかのように走るアルファ。
リックは、その車に逆上してしまい、思いっきりアクセルを踏んだ…。
加速がつき過ぎたコルベットは、そのまま垣根へ激突…。
不十分な状態だったシートベルトにより、
彼の腕は切断を余儀なくされるほどの重症を負ってしまう。
病院に駆けつけたヴォーカルのジョーは、涙ながら
ドラムを続けることを諦めるよう説得したが、
リックはデフ・レパードのドラマーを続けることを決意していた....

リックは失くしてしまった左腕の代わりに、左足を活かせる
ハイハットとスネア・ドラムを改造したドラムセットで、
ステイタス・クオーのドラマー、ジェフ・リッチの支援の下、
バンドに役に立つドラマーになるため、過酷な練習を積んだのだ。

そして事故から2年後の1986年…
イギリス・ドニントン・パークで行われたモンスターズ・オブ・ロックで、
リックはデフ・レパードのドラマーとしてステージに立った.....

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頂点を極めたデフ・レパード....
しかし、最愛なるドラマー、リック・アレンの事故....
当然、アルバム制作は難航だったに違いない....
栄光に酔いしれることなく、改めて自分たちを見つめなおしたメンバー。
「Pyromania」で得たヒット・チャートの法則を糧に、
更なる素晴らしいアルバム「Hysteria」を1987年に発表した。
全12曲、トータル62分と言う大作「Hysteria」。
バラエティに富んだ楽曲陣は、シングル・カットを量産。
アルバム発売の1987年に、「Woman」、「Animal」、「Pour Some Sugar on Me」
「Hysteria」の4曲をシングル・カット。TOP10圏内にどれも食い込む。
そして、1988年に「Armageddon It」、「Love Bites」(2曲とも最高位3位)
1989年に、「Rocket」をシングル・カット。
「Rocket」のPV監督は、数々の名クリップを残したナイジェル・ディック!!!
そして、このPVが、まさかスティーヴ・クラークの最後の姿になるとは、
誰が想像していただろうか?!
2年後の1991年、スティーヴ・クラークは帰らぬ人となってしまった。

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まるで、韓国のドラマを観ているかのような不の連鎖…。
不幸なバンドと言う言葉では括れない何かがデフ・レパードにはある。
それも、もしかして定めなのかもしれないし....
不慮の事故でメンバーを亡くしたバンドは結構多い…。
大半は、その影響により解散と言う悲しい結末を迎えたりしている。
でも、デフ・レパードは今もなお活躍しているし、
冒頭でも書いたように、衰えを感じさせない漲ったパワーを感じる。
僕ら世代にとって、「Hysteria」はバイブル的アルバムであるけれど、
リック・アレンの不屈の精神が詰まった1枚であり、
故スティーヴ・クラークの遺作にもなってしまった感慨深いアルバム。

そんな名盤から選ばさせていただいたのが、
メンバーが楽しくバンドをしているexclamation×2「Excitable」exclamation×2
中学の頃は、この曲ぜんぜん好きじゃなかったんだよね。
カッコ良さを感じられなかったんだけど、
大人になってからは、この歌のパンキッシュなビートが好きになりました。
テクニカルなフィルの旋律よりも、スティーヴ・クラークの
ダイナミックなリフが目に浮かんでしまう最高のナンバーだと思います。
そんでもって、この「Excitable」に、1999年、ヴィヴィアン・キャンベルが
すっかりメンバーとして定着したデフ・レパードの原点回帰作
「Euphoria」に収録されているインスト・ナンバー「Disintegrate」と
リミックスさせた構成で放送しております!!!

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明日のセットリストは一体どうなるんでしょうね??
是非、ライヴに行かれた方は、コメントお待ちしております。
僕の予想では、ホワイトスネイクは「Still Of The Night」から始まるのでは??
デフ・レパードは、やっぱり、1曲目は「Stagefright」かなぁ....
posted by 佐藤朝問 at 21:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
24日の武道館公演行ってきました。
デフ・レパードのみですが、ライブの詳細を【伊藤Pの部屋】にアップしたので、よろしければ是非。

伊藤Pも“Excitable”は最初あまり好きじゃなかった。
でも年を追ううちにこのファンキーな楽曲が好きになった。

“Slang”を筆頭に、その後のデフ・レパードには結構、ファンキーな曲があるんだよね。
Posted by 伊藤P at 2008年10月27日 10:44
こんにちは。
「デフ・レパード」で検索していてたどり着きました。
愛情あるコメントが嬉しく、書き込みをさせて頂きます(なかなか彼らに対する愛あるコメントに出会わないものですから・・)
今回のライヴ、24日の武道館ですが、とても良かった・・バンドとしての一体感、見せること聞かせることを考えた構成、を強く感じられたライヴでした。アルバムの緻密な音作りばかりが話題になりますが、彼らはれっきとした「ライヴ・バンド」ですよね。
Posted by パチーノ at 2008年10月30日 21:14
お久しぶりブリ!
今日は超〜ヒマで、ネットサーフィン中に古巣のCANさんに立ち寄りましたが、相変わらず現役バリバリ頑張っているようで安心しました(笑)(笑)(笑)

柚子ごしょうでしたら取り寄せますので言って下さいませ〜〜。

今度飲みましょう!

皆様によろしく!
Posted by Mr.K at 2008年11月02日 23:07
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